2023年1月23日月曜日

悲しいお正月

  新年2本目のブログ、何を書こうかなと思っていたら、ジェフ・ベックと高橋幸宏さんの訃報が相次いで入ってきてショックを受けておりますよ。  特にジェフ・ベックは昨年もライブやってて、健康面に問題があるとは思ってなかったので驚きました。  所謂三大ギタリストの一角がとうとう、という様なニュース記事をご覧になった方もいると思います。  三大ギタリストというのはジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトンの3人の事を表します。  ロック界には他にもジミ・ヘンドリクスとかリッチー・ブラックモアとか、伝説的なギタリストがいるのに、何故この3人を一括りにして語られてるのかというと、この3人が3人ともヤードバーズというバンドのメンバーだった事があるという共通点があるからなんですね。  で、ジミー・ペイジはその後レッド・ツェッペリンというバンドを結成し、ハードロックというジャンルの礎を築いた訳ですが、ドラムを担当していたジョン・ボーナムが亡くなってしまい、彼抜きでレッド・ツェッペリンを名乗る事はできないとしてバンドを解散し、その後は時折ツェッペリンのヴォーカルだったロバート・プラントと活動したりはするものの、パーマネントなプロジェクトを持って最先端でバリバリやるという感じではなくて、どちらかというとツェッペリンの過去音源のリマスタリングをしているというイメージの人です。  演奏技術というよりは曲作りやギターリフのアイデアといった面で評価の高い人ですね。  むしろ演奏面はライブ盤なんかを聴くと「あれ?」みたいな。  で、エリック・クラプトンはというとクリームやデレク・アンド・ザ・ドミノスといったバンドでの活動の後、ソロとしてのキャリアがメインになっていくのですが、この人はよりブルーズに傾倒していくんですよね。  アメリカで黒人達が産み出し育んできたブルーズという音楽をイギリス人の白人のクラプトンがやって、本場のアメリカの黒人ミュージシャン達が「アイツは本物」と認めるという事になったという、そういう人な訳で、だから華麗なテクニックというよりも先達が産み出したフレーズの踏襲というか(華麗に弾こうと思えば弾けるんでしょうが)、よりニュアンスやトーンのコントロールという面の素晴らしさが魅力のギタリストですね。  ギターって金属の弦をピックではじいて音を出すので、どうしてもぺチッとした音になりがちなんですけど、ピックが弦に当たる瞬間に弦を押さえてる左手の指を揺らす様にするとぺチッ感が和らいで丸みを帯びた音が出せるんですよ。  そういうニュアンスのコントロールが素晴らしいんですよね、クラプトンは。  因みにこの人は若い頃は色んなタイプのギターを弾いていたんですが、ある時期からフェンダーのストラトキャスターをメインにしていて、このギターって普通アームが付いてて音をうよんうよんさせられるんですけど、クラプトンは指先だけでニュアンスを表現するのでアームは外してしまって、うよんうよんする仕組みの所にも板を挟んで固定しちゃってたりします。  で、先日亡くなったジェフ・ベックは、同じくストラト使いなんですが、アームをメチャクチャ使いまくる人でした。  詳しい説明は割愛しますが、アームをうよんうよんしまくるとギターのチューニングは狂ってしまいがちなんですよね。  で、そうなりにくい様にジェフ・ベックはギターのナットというパーツ、大抵は牛骨を使う部分に金属のローラーを付けてるんですよ。  このローラーナット搭載のギターが彼のトレードマークですね。  この事からも分かる通り、ギターという楽器でできる事の可能性を追及した革新的なギタリストだったんです。  ジミー・ペイジがツェッペリンというバンドの人で、クラプトンもギターの腕前も素晴らしいとはいえ代表曲のクロスロードやレイラ、ティアーズ・イン・ヘブンやチェンジ・ザ・ワールドは全部歌入りの曲ですよね。  ジェフ・ベックは歌モノのアルバムも出してるけど、よりインストゥルメンタル、歌無しの音楽に重きを置いたアーティストでした。  歌声や歌詞ではなくギターのフレーズやトーンでカッコよさや心地好さ、美しさなんかを表現して聴く者に感銘を与える存在として、特にギターを弾く人に評価されるアーティストだったんですね。  多くのギター弾きがジェフに憧れてローラーナットを自分のギターに付けようと考えるんですけど、普通のナットとサイズが違うから木を削らなくちゃいけないので自分の手ではできず、一度付けてしまうと「やっぱ違うな」となっても木を削ってしまってるから元に戻せなくなるのでハードルが高く二の足を踏んでしまうのよねw  で、ジミー・ペイジが既に過去の人感がある人で、クラプトンはレイドバックした音楽をやってるという中で、ジェフ・ベックは一番現役バリバリというイメージだったんですよ。  だから亡くなるなんて全然思ってなくて、凄く驚きました。  そしてその驚きも覚めぬ間に、幸宏さんの訃報が飛び込んできました。  幸宏さんといえばYMOのドラマーとしてあまりにも有名な訳ですが、YMOの代表曲といえば誰もがライディーンを思い浮かべますよね。  実はライディーンは幸宏さんの作曲なんですよね。  YMOというと坂本龍一という世界的な作曲家がいて、細野晴臣というYMO以前から日本のミュージックシーンの勘所に常に関わってた人がいて、そんな中でドラムというメロディ楽器ではないパートの幸宏さんが作曲って、一般的にはイメージされないかもしれないんですけど、実は彼が誰もが知る有名曲の作者なんですよね。  そんなYMOでの活動も有名ですが幸宏さんといえばサディスティックミカバンドのドラマーも務めていたんですよね。  サディスティックミカバンドというとタイムマシンにお願いという曲が有名ですが、この曲があまりにもキャッチーで一度聴いたら耳に残る曲なもんだから、サディスティックミカバンドと聞くと「ああ、あのタイムマシンにお願いのバンドね」で終わっちゃう人が凄く多いんですけど、実はこのバンドって凄いテクニシャン集団で海外(特にイギリス)でも評価が高かったんです。  これはオフィシャルなものじゃないのであまり大声でお勧めはできないんですけど、俺はYouTubeでサディスティックミカバンドが海外のテレビ番組でライブ演奏してる映像を観た事があって、そのとんでもない演奏にブッたまげたのを覚えています。  多分楽器の経験がある人ならみんなビビるんじゃないかな。  興味があったら検索してみてください。  まだ残ってるかわかんないけどw  YMOは沖縄の独特のグルーヴを数値化する事とかもやっていて、その数値化されたビートをきっちりと演奏できるというのも幸宏さんの高度な技術があっての事だったりする訳で、本当に凄い人なんですけど、人柄があまりにも気さくで「重鎮」なんて感じが全然ない方でしたよね。  音楽シーンというのは殆ど常に革新が起こっていて、だから革新を起こした人というのも常にいて、時代が進めば当然そういった方々も亡くなっていかざるを得ない。  これからもこの様な悲しい事はずっと起こっていくんですね。  人は死ぬ理由やタイミングを自分では決められない。  生きとし生けるものは必ず死ぬし、それがいつかはわからなくて、例えばこの文章が皆さんに届いてる瞬間に俺が生きてるかだってわからないんですよね、大袈裟な事を言えば。  生きてるという事は、いつ死んでもおかしくないというのと同じ意味、故・中島らもさんの言葉を借りるなら、生きてるというのは死にかけているという事なんですよね。  だから、今から1分後に死ぬ事になったとしても、「まあ、しゃあないか。」と思える様に生きていかなきゃいけないんだって改めて思ったりしました。  でも、ファイブスター物語の新刊が出る3月までは生きていたいな。  おしまい。