vol.1の続き
それは御法度だろうと。
でもって、一番盛り上がる大サビの歌詞が「訳もなくて涙溢れ」って、「て」いらねぇだろっていう。
そこは「訳もなく涙溢れ」でないと日本語おかしくない?ってなっちゃう。
そこはメロディより言葉を優先しなきゃ駄目だと思うのよね。
ほら、サザンオールスターズの愛しのエリーでも「言葉に詰まる様じゃ恋は終わりね」ってところでメロディを崩して歌詞を優先させてるけど、変どころかむしろ良いフックになってるじゃない。
「訳もなくて」と言って「え? いやいや…」と思われるよりも、メロディを変えてでも「訳もなく」にすべきだと、俺は思うなぁ。
それからこれは、ヘンというより珍しいという点なんだけど、この曲って所謂Aメロとサビの繰り返しで基本構成されてるんですよね。
小室哲哉の作る曲というと先ずはいきなりサビから始まって、Aメロがあって、そのAメロを加速させる、盛り上げる様なBメロに行ってからサビで転調するというのがもうテンプレなんですけど、この曲はそれが無い。
これも邪推してしまうと「良いBメロが思い浮かばなかったんじゃないの?」なんて思えたりもする。
いや、これは幾らなんでも意地悪過ぎるかな。
とまあ、色々違和感のあるこの曲、俺は前述した通り初めて聴いた時からおかしな曲としか思えなかったんだけど、世間一般的には「感動の名曲!」という扱いになっていて、何だかなぁとずっと思ってたんですよね。
更に言うと、安室奈美恵自身の歌も良くない。
この曲がというより、この時期の安室ちゃんの歌は良くないよね。
発声もピッチもイマイチで、気持ちがこもってる様に聞こえないの。仮り歌のままリリースしちゃったみたいに聞こえる。
これって当時の安室奈美恵や小室哲哉を取り巻く環境がそうさせたんじゃないかと、どうしても邪推してしまうよね。
出す曲出す曲次々にヒットしていった所謂小室サウンド。そうなると大概の曲がタイアップという事になってくる。
そうすると、ここのブログで大分前にレッドウォーリアーズについて書いた時にも触れたけど、締め切りというモノに追われながら曲を制作する羽目になっちゃう。
小室哲哉も安室奈美恵もライヴやTV出演なんかもこなしながらとんでもなく多忙な中で音楽を作っていく訳で、歌詞をじっくりと練る時間も無かったり、その歌詞をしっかり解釈する暇も無いまま妥協して世に出した様なモノもあったかもしれない。
でも、そんなモノでも出せば大ヒットになっちゃうのか当時の小室サウンドというモノだったのですよ。
やってる当人達としたら「この程度のモノでも世間は大喜びなんだ」と、半ば真面目にやるのが馬鹿馬鹿しく感じてしまっても無理無いよなぁ、なんてね。
言ってしまえば、天狗になってもおかしくないんじゃないかという。
その後の小室哲哉がどうなったかは、皆さんご存知の通り。
でさ、この色々ヘンな曲であるCAN YOU CELEBRATE?をね、「感動の名曲」としちゃう人達ですよ。
結局ちゃんと聴いてないんじゃないの? 安室奈美恵と小室哲哉が作り上げた曲という「記号」に踊らされてるだけじゃん。
実は一番気になっちゃうのはココなんだよなぁ。
レッド・ツェッペリンやクイーンやニルヴァーナを矢鱈神格化したがる人達とかさ。
そりゃ素晴らしいものである事は間違いないとは思うけど、音楽以外の部分のセンセーショナリズムというところで評価してしまってるのはねぇ。
もっと言うと、ゴッホの絵画とかね。ホントに良いと思いますか?っていう。
因みにゴッホの絵画は、ゴッホの亡くなる前には一枚も売れてなかったりするんですよね。
と、最後に毒を吐いてしまいました。スンマセン。
おしまい。