こんにちはkazuitです。
なんだか今年は台風の当たり年みたいで関東圏とか、特に千葉が大変な事になっている様で皆さんご無事でしょうか。
我々cunoの暮らす札幌はというと全くもって穏やかでして、ここ何年か「秋どこいった? なんか秋らしい日2日ぐらいしか無くなかった?」みたいな感じだったのが、今年はお盆過ぎあたりから25℃にいくかいかないかという日が続いていて、快適な秋を満喫出来ております。
なんかすいません。
さて、今回はタイトル通り映画オデュッセイアを観てきたので感想を書きたいと思います。
この映画の監督はクリストファー・ノーラン。
クリスチャン・ベールがバットマン役を演じた3作やインセプション、インターステラーなんかで人気の監督ですね。
時間軸をずらしたり入れ替える様な演出が得意というイメージの人です。
あと特徴というと長い笑
3時間の映画を平気で作ってしまうので、知らずに映画館に観に行くと終盤尿意との戦いになっちゃって映画に集中できなくなるというところは要注意の監督でもあります。
で、このオデュッセイアは現在世界中で大ヒット中なのですが、それを今からたった一言でディスりたいと思います笑
地味!
原作のオデュッセイアというのは元々小説ではなくて叙事詩です。
叙事詩というのは吟遊詩人が歌う歌の事で、作者は約2800年前の吟遊詩人ホメロス。
かの有名なトロイの木馬作戦の発案者オデュッセウスの事を歌った長大な叙事詩の台本みたいなものと考えると分かりやすいかなと思います。
オデュッセウスの歌だからオデュッセイア。
じゃあ何でそんなものが作られたかというとオデュッセウスが後世に歌い継がれるべき英雄だからですね。
勿論トロイア戦争という10年も続いた戦争を終わらせたという点でも英雄なのですが、このオデュッセイアというのはそのあと、戦場から故郷に帰り着くまでに更に10年かかってしまったオデュッセウスの身に何があったのかというところを描いた、所謂英雄譚というヤツです。
そしてもう一つの要素としてギリシャ神話でもあるんですね。
この話、舞台となってるのは約3200年前の青銅器時代のギリシャです。
今西暦2026年ですから3200年前というと紀元前1200年ぐらい。
紀元前の事をBCと表現しますがこれはビフォークライスト、つまりキリスト以前という意味です。
キリストは捕まって処刑されたけど生きかえったんだぞなんていう与太話を人々が信じてしまう時代より更に1200年ぐらい前のギリシャという事で、人々は普通に神様がいると信じてるし作中にも当たり前に神様が出てきます。
そんな世界観の中での英雄オデュッセウス、様々な困難に見舞われながら神々の助けもあり遂には帰郷を果たしてハッピーエンドみたいな、それこそオデッセイという単語の元になった壮大な旅を描いた一大叙事詩である原作を、クリストファー・ノーランはかなりの変更を加えて独自の物語に作り変えているんですね。
勿論、原作をそのままやると3時間どころじゃない長さになってしまうんで当たり前ではあるんですけど。
先ず、神話、お伽噺、ファンタジー的な要素というのを可能な限り削ってしまっています。
勿論「そこを削ってしまったらお話しにならない」という所は残してあるんですが、神様はほぼほぼ姿を顕さず、海が大荒れ=ポセイドンの怒りだ、雷が落ちた=ゼウスの罰だ、といった風な表現にしてあります。
唯一姿がガッツリ映るのがアテナなんですが、これに至っては……と、ここはネタバレになるので割愛。
兎に角基本オデュッセウスという人物の運命にフォーカスしていて、神様がホイホイと出てくる嘘臭い話ではないという方向にしてあるんですよ。
それと、当時の常識と現在の価値観の違いというところの扱いで、英雄像というものが大きく違っています。
例えば、ノストスという言葉があるんですけど、これは簡単に言ってしまえば帰郷、帰還という意味で、だからオデュッセイアはオデュッセウスのノストスのお話という事なんですが、このノストス(という言葉は映画には出てきませんが)が大事で、皆さんも子供の頃「家に帰るまでが遠足です。」っていわれましたよね。
戦争は戦場での決着だけでなくそこから帰るまでがセットというその理由というのが、戦争というのは例え勝ったとて必ず損耗するからでして。
食糧を消費し、軍資金を使い、そして兵士も失いますよね。
なのでその損失分を補う為には勝ったらちゃんと戦利品を持ち帰るというのが大切な事で、それは勿論戦った相手から奪う訳です。
この時代の戦争というのは兵士のみならず一般市民も手にかけて、男は殺し女は犯し、子供は連れ帰って奴隷にし、食糧や金品を強奪して帰るというもので、そんな酷い事をしたってその戦争で兵士を率いた人物は英雄という扱いです。
だからこの様な行為に対して悪びれる事など一切無く、どちらかと言うと「どや!やったったで!」とアピールして名声を得るというのが原作の世界観なんですが、ノーラン版の映画ではここはガラッと現代的にしてあってオデュッセウスが罪の意識を覚えて悩んだり後悔したりするんですね。
原作の華やかでアッケラカンとした雰囲気を取り払って、人物像の掘り下げというところで深みを出そうとした感じ。
結果地味になっちゃうという。
また、所謂「英雄色を好む」というところもバッサリ切られてます。
主人公オデュッセウスはイタケーという島国の王様で、そこからギリシャ連合軍の一員として海の向こうのトロイアの攻略に出征していまして、故郷イタケーにはペネロペという愛する王妃様がいて、息子テレマコスを儲けています。
にもかかわらず原作では行く先々でそれはもうセッセとイタしまくってます笑
ここ、映画ではバッサリ。
ペネロペを一途に思う男に大改変されてます。
ギリシャ神話きってのセックスシンボルである魔女キルケーは地味なオバさん(サマンサ・モートン)となって勿論助平なシーンなど無く、また不老不死の美しきニンフ(一種の妖精)カリュプソはシャーリーズ・セロンという美しくはあるけど不老不死には見えない方が演じていて、これもネタバレになるので詳しくは書きませんがこの場面のオデュッセウスは腑抜け状態になっているのでカリュプソとイタしてるという感じではなくなってます。
ちぇっ、何だよ。
因みに脱線しますが、機動戦士ガンダム閃光のハサウェイでテロリスト組織マフティを追う地球連邦軍の部隊の名前がキルケー部隊。
そこのエースパイロットが駆るモビルスーツの名前がペーネロペーです。
オデュッセイア由来なんですね。
それとオデュッセイアでキルケーが登場して魔力を振るうシーンはそのまんま千と千尋の神隠しにパクられてます。
更には原作でカリュプソの元から筏で漕ぎ出したオデュッセウスが嵐で溺れ死にかけて命からがら辿り着いた浜辺で出逢う、うら若き異国のお姫様の名前がナウシカアです。
ほぼ全裸で泥まみれのオデュッセウスを見ても逃げ出さずに(まあ、神様が魔法をかけちゃってるからなんですが)、助けを求めるオデュッセウスを招き入れ、しまいにゃオデュッセウスの事を好きになっちゃうというキャラ。
ここ映画では全カット笑
勿論、風の谷のナウシカの名前の由来ですね。
宮崎駿もオデュッセイア大好きという。
閑話休題。
原作の叙事詩オデュッセイアでは好奇心旺盛なくせに疑り深く、英雄ではあるんだけど部下にいらん事されて大迷惑被っちゃったり、故郷に帰るのも忘れて美女に夢中になって部下から「いい加減もう帰ろう」と諭されたり、昔の事を語った歌を聴いて泣き出しちゃったり、紆余曲折あったけど最後はイタケーの国王として返り咲いてめでたしめでたしというオデュッセウスとは全然違う人物像をノーランは作り上げちゃったんですね。
クソ真面目で一途で、罪の意識に苛まれて悩み苦しみ……という、なんか昨今の映画によくありそうなキャラなんだよなぁ。
原作を知らない人が観たら「面白い!」ってなるのかも知れないんですが、こちとら小学生の頃にエンデの「はてしない物語」の洗礼を受けてファンタジーにハマった身でして、ギリシャ神話なんて通過儀礼ですからね、このノーラン版映画オデュッセイアは「思ってたのと違う笑」と。
加えて、この映画って画的にもちょっとなぁと思うんですよ。
カメラワークにダイナミックさが足りず、矢鱈にカットが多い。
なんか迫力とか臨場感が乏しくて、そのくせ効果音は妙に重低音がドカドカ鳴っていて、映像と効果音がマッチしてないと感じました。
なんでなのかなと思ったら、どうやら全編IMAX撮影というのが原因っぽいんですよね。
IMAXカメラって、今までは凄く大きい上にうるさいという代物で、台詞のあるシーンには使えないというものだったらしいんです。
それがかなり小型化されて騒音対策もされたおかげで全編IMAX撮影が可能になったという事なんだそうなのですが、そうは言っても普通のカメラと比べるとまだまだ大きくて取り回しは大変な上に、連続撮影可能時間がたったの3分だというんですよ。
結果、あまり動かない映像→カット→あまり動かない映像→カットの連続という映画になっちゃった。
話も映像も地味という。
それと、公開前から話題になっていたポリコレ問題。
そもそもギリシャ連合軍とトロイアが戦争になった原因がスパルタの王妃ヘレネという人で、この人がトロイアに攫われた(のか自ら行ったのかは諸説あり)のを奪還するという名目がありつつ、ギリシャ諸国とトロイアは海を挟んで敵対しているという関係なのでトロイアを落とせば交易の航路の確保もできて一石二鳥だぜ、みたいな戦争なんです。
で、このヘレネという女性が世界一の美女で、ギリシャ連合軍に参加している国々の王様というのは嘗て皆んなヘレネに求婚した人達でして、この時に「誰が選ばれても恨みっこなし。俺達ズッ友だよ♡」という誓いを立ててるんです。
実はこれもオデュッセウスの発案で、オデュッセウス自身も求婚者の一人だったのを、自分はヘレネの従姉妹のペネロペを見初めてサッサと結婚しちゃったという顛末があったんですね。
コレ、オデュッセイアのずっと前の話なんでホメロス版にもノーラン版にも出てこないエピソードなんですけど。
という訳で、攫われたのはスパルタの王妃なんですがそれを奪還しに行くのはズッ友連合軍という訳。
この、ペネロペの従姉妹で「白い腕」の異名を持つ世界一の美女ヘレネの役、これをノーランはルピタ・ニョンゴというアフリカ系アメリカ人、つまり黒人をキャスティングしました。
ペネロペの役はアン・ハサウェイが演じているのに。
これを「うわぁ出たよハリウッドのポリコレのヤツ。」みたいに言われてしまった。
確かに原作に忠実にやるなら「あかんやろ」です。
でもね、個人的にはヘレネをアフロアメリカンが演じるのはアレンジとしてはアリかと思います。
劇中では別に「白い腕」と呼ばれてもいなければペネロペと従姉妹である事も語られてないし。
この時代のギリシャにアフリカ系の人がいるのはどうなのかという話ですが、原作のオデュッセイアって冒頭オリュンポスの神々の会議というか会合というか、そういうので始まるんですけどポセイドンだけは不在で、その理由が「エチオピアのお祭りに出向いてるから」なんですよね。
のっけからアフリカの地名が出てきてます。
じゃあ良いんじゃね?
ただね、俺がどうかと思ったのはそのヘレネの扱いなんですよね。
ノーラン版ではヘレネは「元は世界一の美女だったのに今は疵物にされて半分以下の価値しかない女」みたいな、わりと酷い扱いされてるんですよね。
原作ではヘレネはただの美女じゃなく理知的な女性として描かれているんですよ。
オデュッセウスが全然帰ってこない事で色々面倒が起きているイタケーで業を煮やしていた息子のテレマコスがオデュッセウスの消息を尋ねる為に旅をするんですが、それで行き着いたスパルタでヘレネにも会って、そこでヘレネはトロイア戦争の最中にオデュッセウスが浮浪者に変装してトロイアに潜り込んでスパイ活動していたのを見たというエピソードをテレマコスに聴かせるという場面があります。
テレマコスが産まれてすぐにオデュッセウスは出征してしまったので、テレマコスはお手本にすべき父王を知らずに育ってきたのですが、旅の先々で色んな人からオデュッセウスの人物像というのを聞く事になって父の事を知っていきます。
その語り部の一人がヘレネ。
ヘレネは物語の重要な役割を果たす人であって、無価値になってしまった女なんかじゃ全然ないんです。
酷いぞノーラン。
あともう一人、映画ではオデュッセウスの部下の中に東洋人が混じってます。
Netflixでオルタードカーボン観てた人なら「イタケー軍にタケシおるやん笑」ってなりますよ。
因みにウィル・ユン・リーという方です。
これはなんか、「別に良くない?」って感じかなぁ。
そんなに気になりませんでした。
まあ色々と書いてきましたが俺としてはこの映画は観ていただいて、その上で原作の方に興味を持っていただくのが良いかなと思います。
散々ケチつけといて結局観る事をお勧めするという笑
なにしろ俺自身が映画「ネバーエンディングストーリー」を観た後に原作の「はてしない物語」を読んでファンタジーに嵌まった人間ですから。
て事で観るなら予め知っておくと良いというところをちょっと書いときます。
一つはクセニア。
これは映画では「ゼウスの掟」と呼び方が変えられてました。クセニアじゃ分からないもんね。
これは「訪ねてきた者には、それが誰かに関わらず歓待しなければならない」というもので、もう「ごめんくださ〜い」ってきたら「どうぞどうぞ上がって上がって、ほら飲んで飲んで、食べて食べて。ところでどちら様?」みたいな。
なんでそんな事しなきゃなんないのかっていうとギリシャ神話に出てくる神様って人間のフリして人里に現れるという事を結構しょっちゅうやるんですよ。
だから「ごめんくださ〜い」に対して「誰だお前。帰れ帰れ!」ってやったらそれが神様かもしれないのね。
で、そんな事したら勿論しっかりと災いが降りかかってきます。オリュンポスの神々、迷惑過ぎだろ笑
で、映画ではそこまで詳しく描かれてなかったんですが、原作ではこのクセニアをちゃんとやるかどうかで登場人物が信用できる相手かどうかが分かるという仕組みになってます。
それこそイタケーにアテナが人間に化けて訪ねてきて、それをテレマコスはきちんと歓待するので、そこでアテナのアドバイスを聞いて旅に出る流れになるというのが原作の始まりですから。
で、もう一つが「埋葬は重要」という事。
これ、映画では原作と違うエンディングが見られるというところの大きな要因なんですが、映画の中ではあまり詳しく語られてないんですよね。
オデュッセウスの部下が「埋葬は?」としつこく聞いてきて、オデュッセウスがそれに「そんな場合じゃない!」って答えているのを見て「ああ、ホントはちゃんと埋葬しなきゃ駄目って事なんだろうな。」と察する程度で。
ギリシャ神話の世界では死後の世界=冥界(ハデス)があって、この冥界の支配者である神様の名前もハデスです。
正しく埋葬された死者はこのハデスに行って、場合によっては生者とコミュニケーションをとって願いをきいてもらったり逆にアドバイスしてあげられたりします。
で、埋葬の義務を怠ると魂は現世を彷徨ってしまうと信じられてたんですね。冥界に行けずに。
映画でも原作でもオデュッセイアでは死者とのコンタクト、冥界というのは出てきますが結構違いがあります。
原作では「前作の主人公登場」みたいな、ファンサービスかよみたいなシーンがあったり。
あと、この映画オデュッセイアのポスターのビジュアルが、「巨人達に向かって剣を構えるオデュッセウス」みたいになってて、なんか勇敢に戦う映画なんだろうなみたいな雰囲気出してますが、あれは詐欺笑
俺もあのポスター見て「こんな場面あったっけ?」と思ってたんですが、「あれをこうしたのね笑」というね、原作では結構派手なエピソードを凄い小規模にしてて、アクションシーンを期待して観るとガッカリする羽目になるので要注意。
自分よりはるかに大きな巨人に勇猛果敢に立ち向かい、なんなら打ち勝ってしまうみたいなヤツではありません。
あのシーンは「ひえぇ〜ゴメンナサ〜イ! お助けぇ〜!」っていうね笑
因みにCGを極力使わない事で知られるクリストファー・ノーラン、あれは巨人役は2m以上の役者さん、人間役は150cm以下の役者さんに演じさせた紛うことなき実写映像なんだそうな。
やりたかったのね。
なら仕方無いね。
はい、そんでね、原作読もうぜって話なのよ。
それも、先ず最初は子供向けのヤツ、バーバラ・レオニ・ピカード作の「ホメーロスのオデュッセイア物語」って方から入るのが吉。
普通に作者名ホメロスとなってる「オデュッセイア」をいきなり読むのはちょっとね、予備知識がいるというか前作「イリアス」とか基本的なトロイア戦争の事は知ってるものとして書かれていますからね。
それとギリシャ神話の入門書的な図鑑とかも併せて用意しとくとまた理解度が深まるかなと思うので……いやこれはYouTubeの動画とかでも良いか。無料だし。
で、そこからまた映画に戻ってみると、原作には無かったキルケーの家の鳥籠の意味とか、ノーランが仕込んだものが見えてきますよと。
という事で、個人的採点は正直68点ぐらいなんだけど、より楽しい世界に触れる為の入り口として、観よう「オデュッセイア」!
なんじゃそりゃ笑
おしまい。