2020年8月24日月曜日

ラスアス2炎上に思う

  今回はゲームの話です。
 話の性質上、ネタバレを含みます。なんとか最低限で済ますつもりですが、その点ご了承ください。

 以前ゲームの話をここのブログでした時、「the last of us」というタイトルについて「観ないと損なヤツ」といって紹介した事があるんですが、その待望の続編が今年発売されたんです。
 俺的には今作も素晴らしいと感じたんですが、世間ではこの「the last of us part2」、通称ラスアス2のシナリオについて、かなり厳しい評価が多いんですよね。
 で、何でなのか、厳しい評価を下してる人の意見を幾つか見て回ったんですけど、ちょっと正直それはどうなの?って感じたので、今回はその話をしたいと思います。

 ラスアスは一言で言うとゾンビ物です。
 未知の細菌が蔓延し、その細菌に感染すると人が化け物の様になってしまう。
 細菌の胞子を吸っても、感染者に噛まれても感染してしまいます。
 そして感染者が多数発生した事により、これまで人類が築き上げてきた秩序や文化といった物が崩壊してしまっている世界観です。
 こういう世界観、ポストアポカリプス世界っていうんですけど、ゲームに限らず映画やドラマ等でもよくありますよね。ゾンビに限らず核戦争後とか、異星人の襲来後とか。
無政府状態の中、残された僅かな物資や食糧を巡って争いが起きたり、この世界を生き抜く為に武装集団が結成されたり。

 そんな世界観の中、愛する奥さんと娘を失って一匹狼の様に生きているジョエルという中年男性がラスアスの主人公です。
 このジョエルに、一人の少女エリーを遠く離れた病院まで送り届けてほしいという依頼がきて、それを遂行するというのが、ざっくりとしたこのゲームの内容です。
 途中ジョエルとエリーがはぐれてエリーの方を操作する場面もあるんですけど、基本的にプレイヤーはジョエルを操作してゲームに没入し、ジョエルに感情移入して進めていく事になります。
 序盤はただ仕事としてエリーを連れて行動しているジョエルも、細菌感染者や略奪者達を掻い潜り、伴に苦難を乗り越えていく内に何時しかエリーとの絆が深まり、エリーの事を亡くした娘と準えて愛おしささえ感じてくる様になっていきます。
 それは当然、ジョエルを操作してゲームに没入しているプレイヤーも同様です。

 しかしこのゲーム、最後にとんでもない展開になります。
 このポストアポカリプス世界、細菌の恐怖から解放されるかもしれない、唯一の微かな光というのがこのゲームの根幹としてずっとあるのですが、正に世界を救おうとしている人達を、ジョエルは殆ど皆殺しにします。
 理由はエリーの命を救いたいから。
 つまり、ジョエルはこの世界全体の救済とエリー一人の命とを天秤にかけて、エリーの命の方を選んでしまうんですよ。ジョエルは正に世界の敵となってしまう。
 プレイヤーとしては何十時間もジョエルを操作してジョエルに感情移入してる訳ですから、心情としては物凄く理解できる。気持ちは解るけど、だからといってこんな事して良いのか。いや絶対マズイでしょ。でもやらないとゲームオーバーになっちゃうんですよ。
 それに、ゲームとしては凄い面白いの。たった一人で建物に潜入して一人、また一人と迫りくる敵を倒していくゲームプレイは、まるでダイ・ハードの主人公になった様でテンション上がりまくりなんですよ。
 と言う訳でプレイヤーはエリーを救いたいという感情、でもとんでもない悪事を働いてるという感情、この先のストーリーを知りたい、結末を知りたいからゲームオーバーになりたくないという感情、そもそもゲームとして面白いという興奮という、色々な感情かない交ぜになりながら、どんどんゲームを進めるのを止められなくなってしまうんですよ。
 これって、映画やドラマ、小説等の他のジャンルのエンタテインメントではなかなか表現できない物ですよね。
 何十時間も主人公を操作してゲームに没入する事によって産み出された感情によって、どう考えても良識に反する事を止められないという状態に、人をしてしまうっていう。
 この、「ゲームでしか表現できない物を作り上げた」という点において、ラスアスという作品が単に映像が凄い、ゲーム(遊び)として面白い、ストーリーが優れてるというだけでない「名作」と呼べるところだと思います。
 「やってはいけない、でも止められない」、これこそがラスアスを名作たらしめた肝だろうと。

 

vol.2へ続く